自分に嘘をつく

【批判的に】

自分にうそをつく、というのは本人がそうならないように気を付けていても発生することであるように思われる。「**が好きだ」とか「**になりたい」とかいったある種のポジティブな思い込みとそれに基づく努力(および努力しているという自己評価)は決して悪いことじゃない。でもなぜか、自分にうそをついているな。と感じさせる何かがにじみ出ていることがある。それは意固地だったり、プライドだったり、いろいろな歴史的な、その人の人生的な経緯や積み重なりが生み出してしまうのかもしれない。

一方で、自分で自分をだましている人もいる。自分の本音(本音がない時もある)はおいておいて、とりあえず、そう思ってみる、ということができる人だ。こういう人は、そのうそをわざと信じて、行動することができる。そして、「嘘から出た真」的に何かをつかんでいくように思う。

また、自分にうそをついて、なおかつそのうそを、受け入れられていない人というのもいる。なんだか矛盾しているようにも思うが、そういう人はいる。やりたくない仕事、自信のない仕事、実は全く持って苦手な仕事、というのに対して、意欲的なふりをしているような場合が、思い当たる。(僕もかつてそういう時期があったし、そのときのことを大変に反省しながら仕事をしている。)たいていは、仕事を託しても手が動かなかったり、何か他の事を優先させてそれを口実に逃げているように思う。

一番良いのは、自分に対して正直であることなのだが、残念ながらこの世界は、そんなには甘くない。

ただ、自分が何をどう考えているのか、そして今考えていることや思っていることは正直なのか、うそをついているのか、そのうそはつこうと思ってついているのか、結果的についてしまっているのか、しっかりと意識をすることはできるだろう。

じゃあお前はどうなのかといわれると思うが、僕は自分にうそをつくときは自覚しているし、割と選択的であるように思う。もちろん年を取って、少し分別がつくようになったからなのかもしれない。まだまだ、知識も経験も不足しているけどね。