Why VIM?

研究者の仕事は論文を書くことである。

これは、研究者の評価は論文の数によって決まるためである。

上記の言葉は、少し極端な表現の仕方だ。

実際には論文を書くためには、調査や実験、プログラミング、学生の指導・叱咤激励…など準備が必要になる。

論文を書くという作業はそれら全てを統合する最後の作業である。そして、唯一の外から見えるものを生産する作業である。

だから、文章を書く環境は、研究者にとって、生活のかかった重要な要素となる。

オープンソースのプログラマの場合ならば、おそらくこの論文はプログラムやソフトウェアという言葉に置き換えることができるかもしれない。

情報系の住人がemacsとvim(秀丸エディタや、emEditorなども含まれるのだろう)で永遠の論争を繰り広げ続けている背景には、多分こが存在しているのではないかと思う。

僕は表題の通り、vimを普段使用している。vimを利用している理由は、もはや今となっては慣れているから、という理由しかない。最初はemacsとvimをいったりきたりしていたのだが、何時の間にかvimに落ち着いた。

vimを利用している理由を考えてみると、コマンドを入力しなければならないということやモードを切り替えて使用しなればならないということが思いつく。

しかし、これらの背後にあることを考えてみると、作業を明示的に意識する必要がある。ということになるように思う。別の言い方をすれば、しようとしていることを定義することが常に求められていると言えるかもしれない。

つまり、何かをしようとするとき、何をしようとしているのかを言葉にする必要があるのだ。この感覚は直感的とは真逆を行くものかもしれない。

しかし、この体験は一度身についてしまうと、強烈なものな気がする。

自分で自分をコントロールできているかのような錯覚に陥いらせ、独特の恍惚感をもたらすように思う。(上手く言い表わすことができないのだが、コンピュータ(上のvimと)歯車ががっちりと組合さったような感じがするのだ。

まあ、そういうことが原因で、多分unixシステムがある限り僕は、vimで原稿を書くことになるのだと思う。