教育方針
僕は、一児の父である。
最近、子育ての方針について、見聞きしたり、話したりする機会が増えてきた。これは研究室のもうすぐ修了する学生たちが社会に巣立つにあたり、(相手がいるのかどうかは知らないが)結婚とか、その先にあるかもしれない育児とかということについて、ちょっとだけ妄想するようになったことによるのかもしれない。いずれにせよ、ちょうど良い機会なのですこしまとめておこうと思う。
僕のというよりも我が家の教育方針は基本的には簡単に言えば、以下のような感じである。
オモチャは禁止しない。
テレビ(DVD含む)は禁止しない。
おかしは禁止しない。
注:いずれも積極的に与えるつもりは無いのだが、本人が欲しい(あるいは見たい、やりたい)と言えば、それはやらせる。
また、iPhoneでYoutubeを見るなんてことも容認している。
ちなみに、今のの時点で息子は2才半である。
数少ない禁止項目、というよりも、やったらこっぴどく叱ることは、人を傷付ける可能性のある悪ふざけである。具体的には、ドアの開閉で遊ぶとか、不用意な人にボールをぶつけるなどである。
自分が怪我をするのは構わないが、人さまに怪我をさせるようなことだけは、厳しくしつけている。
また一部の方々から、暴力的であり、村八分的であると言われている、あんぱんマンも禁止していない。
このような考え方に至ったのは、残念ながら、世の中はノイズだらけで、外乱要素は膨大に存在している。
それは情報ということだけではなく、食物なども含まれる。
このことは将来解消されることは無い。それを前提にして生きていくしかない。
そのときに必要なことは、そういうノイズをうまく”さばく”力である。それを育成するために良い方法は、一つは隔離するという方法があるだろう。もう一つは、積極的にそういうノイズに関わらせ、さっさと飽きさせることだと思う。前者は、僕は賭けに近い方法で、無菌状態で培養した何かをいきなり野に放つのに似たことになるのでないかと思う。
一方で、飽きるということはノイズに相当量曝露することになる。もちろん様々なトラブルは発生する可能性は高い。しかし、それを乗り越えられれば、その事象や情報を客観的に見る力の源となる。そしてそれに加えて、その経験が様々な形で将来に応用が効くようになると思う。
ということで、我が家では”禁止”を”禁止”している。