「科学の発見」を読んで

ワインバーグの「科学の発見」を先日読んだ。

各時代の「科学的な営み」を現代の科学の視点で評しているのだが、とどのつまりは、科学の内側での常識(スタンダードな知識)は、変化していくし、その変化は、科学的な発見だけで生じうるものではなくて、良い方向にも悪い方向にも、その時代の社会通念が影響を与える(というか評価の背景に存在してる)ということかと思った。もう少し読み込んで考えてみたいところではあるが。

で、親として考えてみると、このことはやっぱり見落としがちなことだと思う。世の中の常識は常に変わるし、科学の常識も常に更新される。としたら、今の知識を詰め込んでもあんまり意味はなくて、むしろ重要なのは、論理的に考える、科学的に考える、常識に縛られず考える、「考える」力であるように思う。

体力や知力というのがあるけれども、知力はちょっと失敗すると知ってるかどうか(知識)、ということになりがちだけれども、あくまで、知識は考えるための道具や素材なので、それをどう使うか(考える力)ということに、知力という言葉の中身が置き換わってくれるとよいなと思う。(コンピテンシとか、(日本的に)新しい言葉で迂回しようとするのはやっぱりよくないと思うんだなぁ。常識の側を変化させないから)

と、偉そうなことを書いているが、僕は、子供たちの教育は妻に任せっぱなしなので、お恥ずかしい限りである。これも悪しき常識のなすことか。