僕がTeXを使い始めた理由
とりあえず、数日前の@masui 先生のtwittrのコメントをきっかけにつられてみることにした。
僕は、ほとんどの文章をTeXで作成しているという程度にTeX側の人だ。
僕が、TeXを使い始めたのは、34才くらいのころ、人工知能学会の学会誌に寄稿する際に指定されたフォーマットがTeXだったので、一念発起してTeXで執筆をしたことがきっかけだ。
それまでは僕はWordかAppleWorks(!)で2カラムの原稿を書いていた。
便利だった反面、思考の妨げになる何か感じ続けていた。
上記のようなことでTeXでの原稿作成をした際に、その妨げが何かがはっきりわかり、それが、全面的にTeXに移行するきっかけとなったように思う。その妨げというのは、結論として単純化すると、WordもAppleWorksも僕には、高度すぎて使いこなせなかったということだ。特に、文章の構造上の定義が明確にわからないことが問題だった。構造上の定義とは、例えば、どの文節が見出しなのか、図のキャプションなのか、などといった文章の意味ではなく、文章の構造上の意味付けである。
Wordの類は、その気になれば一文字ずつ何かを設定することができる。その設定を統括して管理するようなこともできる。でも、一歩間違えると、設定がさまざまなところに影響を与えてしまう。なので、何をするにもおっかなびっくりで作業をすることになる。
そして、何かを間違えて、レイアウトなどがグチャグチャになると、何だかコンピュータに対して申し訳ないような気がしたのだ。それは、文章を執筆している主人公の役が取られてしまったような感覚だともいいかえられるだろう。
そして、どれを見出しとして定義したのかは、文章のWYSIWYGの結果を見ただけではわからない。
そのような感覚は少なくともTeX環境で執筆している限り、無い。なぜならば、全ては明確にコマンドで指定できる。
そこには、Wordでのご機嫌をうかがいのようなことは存在しない。
コマンドがわかりにくいという反応はあるだろう。しかし、根本的に分からないのではない限り、それは副次的な問題だ。
とはいえ、今からTeXを勉強しましょうと声を大にして言うつもりは毛頭無い。
なぜならば、それはそれで面倒だし、もはや今のTeXは次の何かが生まれてくるまでのつなぎでしかないからだ。
必要な機能は明快にわかっている。それはどこかのタイミングでモダンなものにおきかわることだろう。
少しのあいだ、それを待つのも妥当な選択なのだ。