wikimediaへの提言の続き
以前に書いたwikimediaへの提言について加筆というか補足をする。
提言の骨子は、wikimediaが研究ノートから論文の発行までをサポートし、投稿→査読→再録→発行という流れではなく、発行→検証というシンプルな流れにすることで知的財産のインセンティブと情報の出力までの手戻りを最短にするということだ。
で、このようなシステムの提案に対して、学会がすべきことだという指摘が当然のように想定され、一部にそのような指摘が生じている。この指摘は、学会というシステムと学者(研究者)との関係性についての理解不足によるものなので、ここで述べておく。
学会の役割は、基本的には、その分野についての学術的で正しく、インパクトのある知識を収集、編纂し、公開することと、専門家による議論の場を提供することにある。知識を収集するためには論文投稿という形で提供された研究成果についての情報が、正しい(=間違いがないこと、再現性もしくは、論理的、合理的に正しいと言えるだけの材料が揃っていることなどが総合的に判断される)く、かつその学会の収集し編纂するテーマに合致するならば、その論文は採択され、論文誌に掲載される。テーマについての判断は、論文編集委員会に、そして学術的正当性は査読と呼ばれる手続きによって保証される。
また、論文の価値は、その論文が多くの後発の研究にインパクトを与えることにある。強い学会には、正しく、インパクトのある論文が沢山あつまるし、正しく、インパクトのある論文がたくさんあつまる学会は強い学会なのだ。そして全ての学会は強くなることが社会的な役割として求められている。
学者は通常、複数の学会に所属しており、研究者は論文を投稿する際、どの学会に投稿するかを選択している。選択の基準は再録される可能性の高さ、学術的インパクト、関係者からの投稿依頼(誤解の無いようにするが、依頼されて投稿しても通らない可能性は普通である。)など複数の要因による。正し、同じ内容の論文を複数の学会に同時に投稿することはできない。また、学会は研究者がどの学会に論文を投稿するかの選択を狭めることはできない。
このような学会と研究者の関係から、研究者の研究活動を学会が管理することは不可能なのだ。ある学会の管理するシステム上で執筆された研究ノートが他の学会で発表されるというようなことは、基本的な社会的な役割りと衝突することになる。
したがって、研究者の知的生産活動をサポートする仕組みは学会が持つべきではなく、中立した、独立した組織が持つ必要があるのだ。