若者: 役所の手続き、本当に面倒ですね。窓口のおじさんが書類の不備を指摘してきて、でも「まあ今回は特別に」って通してくれたり。全部AIにして自動化(API化)すれば、こんな恣意的な運用もなくなるのに。
老人: その「恣意性」こそが、人間を救っているとしたらどうだ?
若者: どういうことですか? 規則は規則でしょう。
老人: 機械にとって規則は絶対の命令(Code)だが、人間にとって規則は「解釈の対象(Law)」なのだよ。その隙間にこそ、アルゴリズムには決して実装できない「葛藤」という名の尊厳がある。
1. 濡れた官僚制と乾いたAPI
私たちは行政や企業といった人間組織を「非効率なブラックボックス」と見なしがちだ。 たらい回し、担当者による対応のばらつき、忖度、根回し。 これらを「バグ」として排除し、入出力が明確なAPI(AIによる自動処理)に置き換えようとするのが、現代のDX(デジタルトランスフォーメーション)の潮流である。
確かに、AIによる官僚制は「乾いて(Dry)」いる。 迅速で、正確で、公平だ。 だが、そこには**「葛藤」**がない。 「この申請を却下すれば、この家族は路頭に迷うかもしれない」という担当者の迷いや痛みは、アルゴリズムには存在しない。
一方、人間の官僚制は「濡れて(Wet)」いる。 非効率で、感情的で、時に腐敗する。 しかし、その湿り気の中には、個別の事情や文脈を汲み取る**「情状酌量」**という機能が含まれている。 これはシステムとしてはエラーだが、人間社会としては必要な「遊び(Buffer)」なのだ。
2. 法律という名の「不完全なコード」
人類は数千年にわたり、社会をシステム化するために「法律」というコードを書いてきた。 だが、法律はプログラミング言語(PythonやSolidity)ではなく、自然言語で書かれている。
なぜか? それは**「曖昧性(Ambiguity)」**を残すためだ。
「正当な理由なく」「著しく」「公序良俗に反する」……。 法律用語には、定義が定まらない言葉が溢れている。 プログラマーから見れば「仕様バグ」にしか見えないだろう。 だが、この曖昧さこそが、時代の変化や想定外の事態(Edge Case)に対応するための知恵なのだ。
法律は、あえて「不完全なコード」として記述され、最終的な決定(コンパイル)を**「人間の解釈」**に委ねている。 裁判官や官僚が、条文と現実の間で悩み、葛藤し、その都度「納得解」をひねり出す。 このプロセスを経ることで、硬直したルールに血が通う。
3. Code is Law の極北
ブロックチェーンやスマートコントラクトの世界では、**「Code is Law(コードこそが法である)」**という標語が掲げられる1。 プログラムされた契約は、条件が満たされれば自動的に執行される。 そこに「待った」は効かない。 「間違って送金しました」「ハッキングされました」と泣きついても、コードに書かれていなければ返金はされない。
これが**「解釈の余地がない世界」の姿だ。 アルゴリズムによる統治は、極めて効率的で公平だが、同時に「慈悲(Mercy)」**を許さない。 0か1か。TrueかFalseか。 その中間に広がるグレーゾーン(人間の生活圏)は、切り捨てられるか、強制的にどちらかに分類されてしまう。
4. 葛藤するAPIとしての人間
人間組織をAPI化(攻略・効率化)しようとする試みは、ある地点で必ずこの壁にぶつかる。 「効率化のために人間の判断を排除すべきか、それとも最後の砦として残すべきか」。
AIが官僚的尊厳(純粋論理)を持つならば、人間組織は**「人間的尊厳(葛藤)」**を維持すべきかもしれない。 それは、非効率さを擁護することではない。 「システム化できる部分」と「人間が悩み抜くべき部分」の境界線を引き直すことだ。
私たちは、自分たち自身を「葛藤するAPI」として再定義する必要がある。 入力に対してすぐに出力を返すのではなく、 「それは本当に正しいのか?」「誰かが泣いていないか?」 と内部で処理を遅延させ(Latency)、ノイズを発生させ、迷った末に出力を返す。
その**「遅延(Delay)」**の中にしか、倫理は宿らないのかもしれない。
結び:解釈という名の抵抗
法律がアルゴリズムに勝る点があるとすれば、それは「書き換え可能(Mutable)」であり、「解釈可能(Interpretable)」であることだ。 私たちは、社会のすべてをコード(自動執行)に委ねてはならない。
AIにはできないこと。 それは、条文の行間を読み、震える声に耳を傾け、論理的な正解をあえて曲げてでも「納得」を作り出すこと。 その泥臭い**「調整のコスト」**を払い続ける覚悟が、これからの人間社会には求められている。
脚注:
参考文献:
- Lawrence Lessig, Code: And Other Laws of Cyberspace, 1999. (邦訳『CODE』翔泳社)
- Ronald Dworkin, Law’s Empire, 1986. (邦訳『法の帝国』)
Code is Law: ローレンス・レッシグが著書『CODE』(1999)で提唱した概念。本来は「サイバースペースにおけるコード(アーキテクチャ)は、法律と同様に人々の行動を規制する力を持つ」という警告的文脈で使われたが、後にブロックチェーン分野において「プログラムされたコードは法に優越する」という思想的スローガンとして再解釈(または誤読)され、広まった。 ↩︎