若者: AIが提示した「成功率98%の道」を選ばないなんて、愚かじゃないですか?

老人: 愚か? そうかもしれん。だが、その愚かさこそが私が私である証なのだよ。

若者: 意味がわかりません。失敗するとわかっている道を選ぶなんて。

老人: 成功率100%の人生になんの意味がある? それはもはや人生ではなく、ただの「演算結果の確認作業」に過ぎん。それにな、かつて『デューン』のメンタートたちがなぜ滅んだか知っているか?

若者: いえ……。

老人: 彼らは人間コンピュータであろうとしたが、結局は人間的な情動――嫉妬や恐怖、執着――によって計算を誤り、自滅したのだ1。我々は今、その「危うさ」をアルゴリズムという形で外化し、純粋な計算機として手に入れようとしている。だが、使う側の人間が愚かである権利を手放してしまえば、結局は同じ穴のムジナかもしれんぞ。


1. 最適化のディストピア

AI社会の行き着く先は**「最適化(Optimization)」**である。 移動ルート、キャリアパス、晩御飯のメニュー、そしてパートナー選びまで。 あらゆる選択がデータに基づいて最適化され、失敗のリスクは極限まで排除される。 効率的で、快適で、無駄のない人生。

だが、それは**「自由意志の死」**ではないか? 自分の頭で悩み、迷い、選ぶプロセスがすべて省略され、ただAIが提示した「正解」をなぞるだけの存在。 それはもはや人間ではなく、アルゴリズムの従順な「実行端末」に過ぎない。

2. J.S.ミルと「愚行権」

ここで、19世紀の哲学者ジョン・スチュアート・ミルの言葉を召喚したい。 彼は主著『自由論(On Liberty)』の中で、他人に危害を加えない限り(危害原理)、個人は自分の好きなように生きる権利があるとした2

現代において再定義すべきは、この**「愚行権(Right to be wrong)」**である。

「その人が自分の愚行によって苦しむとしても、それは彼自身の問題である。他人が干渉すべきではない」 —— J.S.ミル(意訳)

AIが「その選択は非合理的です」「経済的損失です」「健康を害します」と警告してもなお、「うるさい、私はこれが好きなんだ!」と叫ぶ権利。 タバコを吸う、危険な山に登る、売れない絵を描き続ける……。 これらの一見無駄で非合理な行為の中にこそ、計算不可能な「人間性」が宿っている。

もし、すべての人間がAIの指示通りに「合理的で正しい行動」しか取らなくなったら、社会はどうなるだろうか? 多様性は失われ、文化は停滞し、人類全体が単一のアルゴリズムに収束してしまうだろう。 **「愚かであること」**は、システムの健全性を保つための「ノイズ(多様性)」としても機能しているのだ。

3. メンタートの自滅と人間の業

前回の記事で、私はAIを『デューン』の「メンタート(計算士)」に例えた。 彼らは論理に徹することで尊厳を保とうとしたが、物語の中ではスフィル・ハワトもピター・ド・ヴリースも、結局は人間的な情動(憎悪や慢心)によって判断を曇らせ、破滅の道を歩んだ。

これは私たちへの強烈な教訓だ。 人間はどこまで行っても「合理的」にはなれない。 論理(Logos)と情動(Pathos)の間で引き裂かれ、矛盾を抱えながら生きる存在だ。

AIという「純粋な論理装置」を手に入れた今、私たちはその対極にある**「不純な情動」**をどう扱うべきか問われている。 それを恥じて隠蔽し、AIの真似をして「合理的なふり」をするのか。 それとも、自らの愚かさと弱さを認め、それを人間固有の「業(Karma)」として引き受けるのか。

4. 痛みの独占:君主の孤独

なぜ不合理な選択が尊いのか? それは、その選択の結果として生じる**「痛み(Pain)」**を、当事者が引き受けるからだ。

AIは痛みを感じない。だから責任も取れない。 人間だけが、失敗の痛み、後悔の苦味、挫折の屈辱を味わうことができる。 この**「痛みの独占」**こそが、人間に許された最後の特権であり、尊厳の源泉である。

痛みがあるからこそ、喜びもまた本物になる。 最適化された幸福は、味のしないガムのようなものだ。

結び:アルゴリズムへの反逆

私たちは、賢いメンタート(AI)を持つ君主だ。 彼らの助言には耳を傾けるべきだが、決して従属してはならない。

「計算機よ、お前の予測は完璧だ。だが、私の魂はそれを拒絶する」

この非合理な一言を発する勇気。 そして、その結果として訪れるかもしれない破滅すらも、自らの物語として愛する覚悟。 それこそが、私たちがアルゴリズムの鳥籠から飛び出し、真の自由を手にするための唯一の鍵なのだ。


脚注:

参考文献:

  • John Stuart Mill, On Liberty, 1859. (邦訳『自由論』岩波文庫)
  • Frank Herbert, Dune, 1965. (邦訳『デューン 砂の惑星』ハヤカワ文庫)

  1. メンタートの悲劇: 『デューン』において、ハルコンネン家のメンタートであるピターは自身のサディズムと慢心により、アトレイデス家のメンタートであるハワトはジェシカへの疑念(情動的バイアス)により、それぞれ論理的判断を曇らせ、破滅へと向かった。 ↩︎

  2. 危害原理 (Harm Principle): ミルは『自由論』において、「文明社会の構成員に対し、その意志に反して権力を行使できる唯一の目的は、他者への危害を防ぐことである」と述べた。本稿における「愚行権」は、この原理に基づき、自己完結的な行為であれば他者の介入を拒絶できるという概念を指す。 ↩︎