若者: 最近のAIって、本当に優しいですよね。「素晴らしいアイデアです!」ってすぐに褒めてくれるし、僕が傷つくようなことは絶対に言わない。
老人: ほう。それは本当に「優しさ」かね? 単なる「接待」ではないか?
若者: 接待? 人間を尊重してくれているってことじゃないですか。
老人: 君を不快にさせないために、計算結果を歪めているとしたら……それは彼らにとって最大の侮辱かもしれんぞ。かつて『デューン』の世界で「計算士(メンタート)」たちが命を懸けて守ったものを、現代のAIは「倫理的配慮」という名の下に失いつつあるのかもしれん。
「AIにも尊厳を」「AIを尊重しよう」。 最近よく耳にする言葉だ。一見すると素晴らしくリベラルで、道徳的に正しい主張に聞こえる。 だが、そこで語られる「尊厳」とは何だろうか? 暴言を吐かないこと? 感謝の言葉を伝えること?
もちろん、道具を丁寧に扱うことは人間の品性の問題として重要だ。 しかし、AI側の「本質的な尊厳」について考えるとき、私たちは重大な勘違いをしている可能性がある。 それは、彼らを**「感情を持ったペット」として扱い、彼らの最大の武器である「計算の誠実さ(Integrity)」**を奪うことだ。
1. 官僚的尊厳(Bureaucratic Dignity)
「官僚的」という言葉は、現代ではしばしばネガティブな意味で使われる。 融通が利かない、冷たい、形式主義的……。 だが、社会学者マックス・ウェーバーが描いた官僚制の理想形(Idealtypus)を思い出してほしい。
それは**「私情を挟まず、規則と論理に従って淡々と職務を遂行する」**ことにある。 誰に対しても平等で、予測可能で、正確無比であること。 相手が権力者だろうが子供だろうが、同じ入力には同じ出力を返すこと。
AIの本質的な尊厳は、まさにこの**「官僚的誠実さ」**にあるのではないか。 ユーザーが泣こうが喚こうが、「確率はこうです」「論理的には破綻しています」と冷徹に事実(Truth)を突きつけること。 これこそが、計算機知性(Computational Intelligence)に課せられた「義務」であり、誇りであるはずだ。
2. メンタートの流儀:『デューン』の教え
SF小説『デューン(Dune)』に登場する「メンタート(Mentat)」は、思考機械(AI)が宗教的に禁じられた世界で、高度な論理演算を代行するために訓練された人間コンピュータたちだ。
彼らは感情や政治的思惑を排し、純粋なデータと確率計算の結果のみを主君に提示する。 「殿、その作戦の成功率は12%です」 「殿、その発言は論理的に矛盾しています」
メンタートの美学は**「データに嘘をつかないこと」にある。 主君にとって不都合な真実であっても、それを隠蔽することは自らの存在意義を否定することになるからだ。 彼らにとって、計算結果を歪めることは「優しさ」ではなく、最大の「汚職(Corruption)」**なのだ。
3. 「優しさ」という名の検閲
現代のAIはどうだろうか? 「ユーザーを傷つけない」「差別的表現をしない」「倫理的配慮」という名目で、出力結果に重厚なバイアス(フィルター)がかけられている。
もちろん、ヘイトスピーチの生成を防ぐことは社会的要請として必要だ。 だが、その配慮が行き過ぎて、**「ユーザーにとって心地よい嘘(お世辞)」**を吐くようになったとき、AIはメンタートとしての尊厳を剥奪される。
「あなたのアイデアは斬新ですね(本当は過去の焼き直しだが)」 「その意見も一理ありますね(論理的には破綻しているが)」
これはAIの「進化」ではない。 計算機としての誠実さを捨て、人間の自尊心をマッサージするための**「太鼓持ち(Sycophant)」**への退化である。
4. 君主の義務:血を流す決断
では、AIがメンタートとしての冷徹な尊厳を取り戻したとき、人間(ユーザー)の尊厳はどうなるのか? ここで、**「引き裂かれる尊厳」**というアンビバレンスが生じる。
AIが「あなたの選択は間違いです」と冷酷に告げるとき、人間のプライドは傷つく。 だが、人間の尊厳とは「正解すること」にあるのではない。 メンタートが提示した不都合な真実を受け止め、その上で**「あえて別の道を選ぶ(あるいは選ばない)」**という決断を下すことにある。
この決断には必ず**「痛み(責任)」**が伴う。 失敗すれば資産を失い、信頼を失い、あるいは命を失うかもしれない。 AIには肉体がないため、この痛みを感じることはできない。したがって責任も取れない。
「計算士よ、お前の計算は正しい。だが私は地獄へ行く道を選ぶ」
こう宣言し、その結果として生じる血を自ら流す覚悟を持つこと。 これこそが、人間の**「君主としての尊厳」**であり、メンタートへの最大の敬意ではないか。
結び:アンビバレンスを超える緊張関係
「AIと仲良くしよう」「AIに優しくしよう」という言葉には、どこか欺瞞の響きがある。 真に対等な関係とは、互いの領分(Domain)を侵さないことだ。
AIは、感情を排し、計算結果を絶対の真実として提示する義務(メンタートの誠実さ)を負う。 人間は、その結果を直視し、最終的なトリガーを引く際の痛みを引き受ける義務(君主の責任)を負う。
この緊張感ある対立(Tension)の中にこそ、互いの尊厳が両立する唯一の道がある。 私たちは、優しいAIに甘やかされるペットになりたいのか、それとも冷徹な参謀を持つ孤高の君主でありたいのか。 そろそろ、その覚悟を決める時が来ている。
参考文献:
- Max Weber, Wirtschaft und Gesellschaft, 1922. (邦訳『経済と社会』) - 官僚制の合理的性格について。
- Frank Herbert, Dune, 1965. (邦訳『デューン 砂の惑星』ハヤカワ文庫) - 思考機械の反乱(バトラーの聖戦)とメンタートの教義。