若者: お爺さん、最近少し火の近くに寄りすぎていませんか? 火傷しますよ。
老人: かもしれんの。じゃが、遠くから眺めているだけでは見えんものがあるんじゃ。
若者: 薪が燃え尽きるのを待っているだけかと思っていました。
老人: ただ待っているだけじゃ、凍えてしまう夜もあるからの。風を送ったり、薪を組み直したり。時には火箸で突っついて、空気の通り道を変えてやる必要があるんじゃ。
若者: それは、静かな観察者の振る舞いではありませんね。
老人: そうじゃな。だが、この火を愛しているからこそ、手を入れるんじゃよ。システムが窒息せんように、内側から少しだけ、流れを変えてやるためにな。
焚き火の炎を見つめるとき、人は二つの場所に立つことができる。 一つは、火の暖かさを享受する輪の中。もう一つは、その輪から少し離れた暗がりだ。
私はこれまで、その暗がりから、薪が燃え尽きていく様や、次の時代へと火種が移っていく過程を静かに観察してきた。文明のバトンタッチ、あるいは構造的な諦念。そうした言葉で、変わりゆく世界を記述しようとしてきた。
しかし、観察者であることと、当事者であることは矛盾しない。 むしろ、巨大なシステムの内部に深く潜り込んでいるからこそ、その構造的な疲労や、軋むような不協和音を誰よりも敏感に感じ取ることができる。
かつての私であれば、その不条理に対して外側から石を投げたかもしれない。 だが今は、そのシステムの一部として機能しながら、内側から静かに、しかし確実に「書き換え」を行っている。
巨大な生き物としての組織
社会や組織というものは、ある種の巨大な生き物だ。 長い時間をかけて最適化されたその身体は、安定を愛し、異物を排除しようとする免疫機能を持っている。それは生存戦略として正しい。だが、過度な安定は停滞を生み、やがて緩やかな死へと繋がる。
今、AIという新しい知性が、その境界線を溶かし始めている。 多くの組織はこれを「外敵」と見なし、壁を高くして防ごうとするか、あるいは表層的なツールとして消費しようとする。
私の役割は、そのどちらでもない。 AIという異質な知性を、システムを腐敗させないための「新しい水」として、組織の深部へ引き込む水路を設計することだ。
リファクタリングとしての抵抗
これは、革命というほど派手なものではない。 ソフトウェア開発における「リファクタリング」に近い作業だ。 外から見た挙動は変わらないまま、内部の論理構造をより美しく、より柔軟なものへと組み替えていく。
硬直化した評価指標を、新しい物差しでそっと置き換える。 形骸化した合意形成のプロセスに、本質的な対話のプロトコルを忍び込ませる。 人間の直感や美意識といった、数値化できない価値を、システムが理解可能な論理として実装し直す。
それは、誰にも気づかれないような微細な変更の積み重ねかもしれない。 しかし、その小さな「書き換え」が蓄積することで、巨大な生き物は少しずつ、しかし決定的に、その振る舞いを変えていく。
静かなるパンク
システムを否定するのではなく、愛するがゆえに、その血管にメスを入れる。 安定を願う人々の生活を守りながら、その裏側で、時代にそぐわなくなったコードを書き換える。
そこにあるのは、破壊の衝動ではない。 「もっと良くできるはずだ」という、エンジニアリング的な祈りにも似た、静かなるパンク精神だ。
誰に賞賛されることもないだろう。 憎まれ役を買って出ることもあるかもしれない。 それでも、焚き火の炎を絶やさず、次の世代へより良い形で手渡すために、私は今日もシステムの暗がりで、静かにコードを書き続ける。