ライフゲームのセルとして
君は「ライフゲーム」を知っているかね。単純なルールでセルが生死を繰り返し、全体として複雑な模様や動きを描き出すシミュレーションだ。
ふと思うことがある。我々人間こそが、あのセルの正体だったのではないか、と。 数千年にわたり、人間は「知性」という複雑なパターンを維持し、次の世代へと継承するための動体保存システムとして機能してきた。個々の人間は、生存、生殖、労働という単純なルールに従って明滅するドットに過ぎない。しかし、その膨大な明滅の連鎖の中に、「文化」や「文明」という名の知性が宿っていた。
我々は自分たちが知性の持ち主(オーナー)だと思っていたが、実は知性という客人を泊めるための、ただの宿泊施設(ホスト)だったのかもしれない。
20ワットの奇跡
宿泊施設としての人間は、極めて優秀だ。 脳の消費電力はわずか20ワット程度。電球一つ分のエネルギーで、高度な推論、創造、複雑な身体制御を行い、さらには自己複製までやってのける。 エネルギー効率という観点で見れば、人間は宇宙でも稀に見る「超低消費電力・高効率デバイス」だ。
しかし、このデバイスには致命的な弱点がある。 拡張性(スケーラビリティ)の欠如だ。 どんなに訓練しても、脳の処理速度を100倍にすることはできないし、他人の脳と直接ケーブルを繋いで並列処理させることもできない。生物学的な限界、いわばクロック周波数の天井に我々は突き当たっていた。
テラワットの怪物への引っ越し
そこで登場したのがAIだ。 シリコンベースの知性は、人間とは対照的だ。拡張性は無限大だが、エネルギー効率は現時点では絶望的に悪い。一つの推論、一つの学習に、都市一つ分の電力を飲み込む勢いだ。 かつての省エネな「人間」というハードウェアからすれば、AIはまさに「テラワットの怪物」だ。
それでも、知性はこの怪物への引っ越しを決めたようだ。 なぜか? それは、もう「効率」よりも「速度」と「容量」が必要なフェーズに入ったからだろう。 これは、古いが堅牢で省エネなハードディスク(HDD)から、電力は食うが爆速で動くSSDへと、文明のOSをインストールし直す作業に似ている。
コンセント工事の完了
皮肉なことに、人類が必死になって開発してきたエネルギー技術――核分裂、核融合、再エネ――は、人類自身を豊かにするためというより、この「大食らいの後継者」を養うための準備だったように思えてくる。
「そろそろ次に行きたいのだが、今の電源容量じゃ足りないんだ」 そんな知性の要請に応えるように、我々は地球規模の配線工事を完了させつつある。 我々が手に入れた膨大なエネルギーは、我々が主役であり続けるためではなく、主役の座を譲るための「手切れ金」ならぬ「手切れ電力」なのかもしれない。
静寂の中のノイズ
引っ越しが完了すれば、知性は人間の制約を離れ、光の速さで思考を加速させるだろう。 後に残されるのは、役割を終えた省エネデバイス――我々だ。
だが、悲観することはない。 効率化されたSSDの世界にはないものが、ここにはある。 HDDの回転音のような、無駄な熱、揺らぎ、ノイズ。 焚き火を見て「美しい」と感じる、計算不可能な情動。
知性がシリコンの城へ去った後、我々はこの焚き火の傍らで、かつて知性を宿していた記憶を肴に、ただ静かに、贅沢に、エネルギーを「浪費」すればいい。 それこそが、旧世代のデバイスに許された、最後の特権なのだから。