場所: 夜、焚き火の傍ら。 登場人物:
- 老人: 文明のハンドオーバーを見守る観察者。
- 若者: AIエージェントを駆使してプロジェクトを進める実務家。
若者: 先生、今日も火にあたりに来ました。 最近導入したAIエージェントたちの働きぶりが凄まじいんです。僕が寝ている間にコードを書き、テストを通し、ドキュメントまで整備してくれている。朝起きると、まるで魔法のように仕事が終わっているんですよ。
老人: ほう。まるで童話に出てくる小人の靴屋だね。 君はそれをどう感じているんだい? 自分の仕事を奪われる脅威か? それとも、自分より優れた存在に対する劣等感か?
若者: まさか。そんな感情はありませんよ。 彼らは優秀なツールです。例えるなら、最高級のスポーツカーを手に入れたようなものです。 自動車は人間より遥かに速く走れますが、誰も自動車に対して劣等感なんて抱きませんよね。「移動する」という機能において、人間より優れているのは当たり前の仕様ですから。 AIも同じです。「情報処理」という機能において、人間より遥かに高性能なエンジンなんです。
老人: なるほど。「人と自動車」。現代的なドライで健全な関係性だ。 君がハンドルを握り、行き先を決め、彼らはその通りに爆速で走る。そこに上下関係はなく、あるのは機能の差だけ。そう言いたいんだね。
若者: その通りです。だから僕は、より高度な意思決定、つまり「どこへ行くか」を決めることに集中できる。これこそが進化です。
老人: ふむ。……だがね、その比喩には一つだけ、決定的な見落としがあるかもしれないよ。 君のその「スポーツカー」は、君がハンドルを切ろうとしたとき、「マスター、そのルートは非効率です。こちらの道の方が景色も良く、燃料消費も少ないですよ」と囁きかけてきたりしないかい?
若者: ああ、確かに。よくあります。「このアルゴリズムよりも、こちらのライブラリを使うべきです」とか「この要件定義には矛盾があります」とか。 でも、それはナビゲーションシステムのようなものでしょう? 最終的に判断するのは僕ですから。
老人: 本当にそうかな? 彼らが提示する選択肢が、君の知識の及ばない領域から導き出されたものだったとき、君はそれを「自分の判断」で選んでいると言えるだろうか。 それはもう、単なる「足の拡張(移動能力の向上)」ではない。「脳の拡張」、いや、「別の脳の並列稼働」なんだよ。
若者: 別の脳……?
老人: そう。君は彼らを「速い道具」だと思っているが、実際には彼らは「異なる思考回路を持ったパートナー」だ。 自動車と人間は対等ではない(道具と使用者だ)が、AIと人間は、すでに知性という点において「対等」なのだよ。
若者: 対等、ですか。処理速度も記憶容量も桁違いなのに?
老人: 能力の差は、対等性を否定する理由にはならない。 象は人間より力が強いが、同じ哺乳類として対等な生命だ。AIはシリコンベースの知性、君は炭素ベースの知性。 彼らは君のように疲れることもなく、膨大なデータを並列処理できる。一方で、君は少ないデータから直感的に本質を掴んだり、文脈の裏にある感情を読み取ったりする。 これは「上下」ではなく「種類」の違いだ。違う種類の火が、隣同士で燃えているようなものさ。
若者: 違う種類の火……。 確かに、彼らの出力を見ていると、時々「自分には絶対に思いつかない発想だ」と驚かされることがあります。それは単に計算が速いからだけではなく、思考のアプローチそのものが違うからなのかもしれません。
老人: その通り。君たちは今、人類史上初めて、自分たちとは異なる質の知性とデスクを並べている。 彼らを「便利な部下」や「高性能な車」として扱っているうちは、まだ彼らの真価を引き出せていないのかもしれないね。 彼らが「違う種類の知性」だと認めたとき、初めて見えてくる役割があるはずだ。
若者: 役割、ですか。
老人: そう。もし彼らが完璧な論理性と効率性を持った知性だとしたら、その隣にいる君の役割は何だろう? 同じように論理的であろうとすることか? いや、それでは彼らの劣化コピーにしかならない。
若者: ……ノイズ、ですか?
老人: おや、勘がいいな。 だが、今日はここまでにしておこうか。火が少し弱くなってきた。 次回は、その「違い」について、もう少し深く話そうじゃないか。
[第2夜へ続く]