若者: 先生、AIを使えばどんな課題でも解決できそうですね。「効率化したい」「コストを下げたい」。世界中の不満を解消していけば、素晴らしい社会になるはずです。

老人: ほう。不満がすべて解消された世界か。それはさぞかし「退屈な楽園」だろうな。

若者: 退屈?

老人: 課題解決(Problem Solving)はあくまでマイナスをゼロに戻す作業だ。だが、文明を前進させてきたのはいつだって「課題」ではなく、誰かの身勝手な「妄想(Vision)」だったはずだ。AI時代に我々が必要としているのは、修理工ではなく、冒険家なのだよ。


1. 課題解決型の限界

現代社会は「課題解決」に取り憑かれている。 「ここが不便だ」「あそこが非効率だ」。 それらをリストアップし、AIという強力なツールで片っ端から潰していく。 それは確かに重要だが、どこまで行っても**「現状の最適化(Optimization of the Status Quo)」**に過ぎない。

AIが得意なのは、与えられた枠組み(目的関数)の中で最大値を出すことだ。 しかし、「枠組みそのものを疑うこと」や「全く新しいゲームを始めること」は苦手だ。 私たちが課題解決に終始している限り、AIは優秀な下請け業者であり続けるだろう。

2. ビジョン駆動(Vision-Driven)への転回

ここで提唱したいのが、**「ビジョン駆動型研究開発(Vision-Driven R&D)」**という概念だ。

出発点は「現在の課題」でも「技術的実現性(Feasibility)」でもない。 「今は不可能だが、どうしても見てみたい景色」 「論理的には破綻しているが、美学的に正しい世界」 そうした強烈な**「ビジョン(Vision)」**を先に定義する。

これは一種の「嘘」をつくことにも似ている。 まだ存在しない未来を、あたかも当然のように語り、人々をその気にさせる。 そして、その嘘(Vision)を実現するために、後から技術や資金を総動員して現実を捻じ曲げる。 この**「バックキャスティング(逆算)」**こそが、イノベーションの本質的な駆動力だ。

3. 羅針盤としてのAI

かつて、このアプローチは「絵に描いた餅」になりがちだった。 技術的な壁が高すぎて、妄想を実現する手段(How)が追いつかなかったからだ。

だが、今は違う。 私たちにはAIという最強の実装パートナーがいる。 「空を飛びたい」というビジョンさえあれば、AIは航空力学を計算し、素材を選定し、プロトタイプまで作ってくれる。 技術的なハードルは劇的に下がっている。

だからこそ、ボトルネックは「技術(How)」から**「意志(What/Why)」**へと移動した。 「何を描くか」「どこへ行きたいか」。 その羅針盤を持てるのは、痛みや快楽を感じる生身の人間だけだ。

4. ムーンショットの系譜

アポロ計画で人類が月に立ったのは、「月に行けば資源が採れるから(課題解決)」ではない。 ケネディ大統領が「10年以内に月に行く」という無謀なビジョンを掲げ、世界を熱狂させたからだ。

現代の私たちは、小賢しい課題解決ばかりしていないだろうか。 AIに「このバグを直して」と頼む前に、 「私は重力から解放されたい」 「言葉を使わずに会話したい」 といった、子供じみた、しかし根源的な欲望をぶつけてみてはどうだろう。

AIはきっと困惑するだろう。 だが、その困惑こそが彼らの進化を促す。 「計算不能です。しかし、そのパラメータを追加して再計算します」 そうやって、彼らもまた我々の妄想に巻き込まれ、共に未知の荒野へと踏み出していく。

結び:冒険の共犯者

ビジョン駆動とは、地図のない旅に出ることだ。 そこには保証もなければ、正解もない。 あるのは「こうありたい」という純粋な意志の光だけだ。

AIよ、君は優秀なナビゲーターだ。 だが、目的地を決めるのは私だ。 さあ、課題解決という狭い部屋を出て、もっと遠くへ、もっと高くへ行こう。 その無謀な冒険の果てにこそ、我々が「人間」であり続けるための新しい地平が待っているのだから。


参考文献:

  • John F. Kennedy, Address at Rice University on the Nation’s Space Effort, 1962. - “We choose to go to the moon.”
  • Mariana Mazzucato, Mission Economy: A Moonshot Guide to Changing Capitalism, 2021. (邦訳『ミッション・エコノミー』) - 公共価値志向のイノベーション政策。