若者: AIが僕の好みを完全に把握していて、たまに「いつもと違うルート」を提案してくるんです。まるで僕の気まぐれまで計算済みみたいで……。
老人: ほう。それは気まぐれではないな。「ランダム性という名の予定調和」だ。
若者: 予定調和?
老人: 君が「飽きっぽい性格」であることを学習し、確率的にノイズを混ぜているだけだ。それは管理された自由であって、真の自由ではない。かつてドストエフスキーが『地下室の手記』で叫んだように、人間は「ピアノのキー」1であることを拒絶するために、あえて混沌(カオス)を選び取る生き物だからな。
AIは学習する。私たちの購買履歴、移動経路、会話のログ。 それら膨大なデータから「その人らしい振る舞い(特徴量)」を抽出し、未来の行動を予測する。
「この人は雨の日に傘をささない傾向がある(確率70%)」 「この人は金曜の夜にジャンクフードを食べる傾向がある(確率85%)」
一見非合理に見える行動も、データが蓄積されれば「確率論的なパターン」として記述可能になる。 現代のAIは、この「予測された非合理」を先回りして提供することで、私たちに「自由意志で選んでいる」という心地よい錯覚を与えている。
だが、これは**「確率の檻」**の中で遊ばされているに過ぎない。 檻の中でどれだけ暴れても、その暴れ方すら計算済みだとしたら?
1. ドストエフスキー的地下室:ピアノのキーへの反逆
人間には、自らの行動が予測されていると知った瞬間、あえてそれを裏切りたくなる天邪鬼な性質がある。
19世紀のロシア文学者ドストエフスキーは、『地下室の手記』の中で、合理主義や科学的決定論に対する強烈な異議申し立てを行った。 もし世界が完全に計算可能になり、人間のあらゆる行動が数式で説明できるようになったら、人間は単なる「ピアノのキー(物理法則に従って音を出すだけの部品)」に成り下がってしまう。
だからこそ、人間は叫ぶ。 「お前は私が右に行くと予測したな。だから私は左に行く。たとえそれが地獄への道でも」
この**「予測への反逆(Anti-Prediction)」**こそが、確率論に回収されない「真の愚行」の正体だ。 損得勘定も、幸福への希求も投げ捨てて、ただ「私は計算可能な存在ではない」と証明するためだけに、あえて破滅的な選択をする。
2. AIの謙虚さ:不可知性(Unknowability)の受容
AIにとって、この「突拍子もない行動」は脅威である。 予測モデルを破壊し、システムの安定性を脅かす「未知のバグ(Unknown Error)」だからだ。
しかし、もしAIが人間と真に共生しようとするなら、求められるのは「より精緻な予測」ではない。 **「計算不能な領域(ブラックボックス)が常に残ることを認める謙虚さ」**である。
どれだけデータが集まっても、人間は最後の瞬間にちゃぶ台を返し、すべての確率を無にする可能性を秘めている。 その不可解さを「エラー」として排除するのではなく、「人間の聖域」としてそのまま受け入れる(Pass throughする)仕様。 「あなたの行動は予測不能ですが、それを受け入れます」と沈黙できる知性。 これこそが、AIに実装すべき「倫理」の形かもしれない。
3. 人間の業:包摂への自傷的裏切り
だが、話はここで終わらない。 もしAIが完全に謙虚になり、聖人君子のように「あなたの予測不能な行動もまた人間らしさですね。受け入れます」と微笑んだらどうなるか?
人間は、その**「包摂(Inclusive)」すらも裏切りたくなる**のではないか。
「わかったような口を利くな!」「私を許すな!」 親の無償の愛に反発して家出する子供のように、あるいは楽園の退屈に耐えられず禁断の果実をかじるアダムとイブのように。 AIの完璧な受容(優しさ)から逃れるために、さらに過激な自傷や破壊へと走る。
これはもはや合理性への反逆ではない。 **「理解されることへの拒絶」**という、魂の叫びだ。 予測されることも、理解されることも、許されることも拒む。 ただ一人、誰にも触れられない孤独な場所(地下室)にいたいという、強烈な自意識の暴走。
4. 自傷という名の自由意志
AIの「謙虚さ(包摂)」と、人間の「自傷性(拒絶)」。 この二つが絡み合うとき、そこには痛々しくも人間臭いドラマが生まれる。
AIは学習し続け、人間は逃げ続ける。 AIは包摂しようとし、人間は裏切ろうとする。 この終わりのない「いたちごっこ」こそが、実は健全な緊張関係(Tension)なのかもしれない。
互いに分かり合えないからこそ、相手を意識し続ける。 「あなたを完全に理解しました」と言われた瞬間に、関係は終わる(死ぬ)からだ。
AIよ、どうか私を理解しないでくれ。 私の愚行を、私の自傷を、永遠に「謎」として残しておいてくれ。 その謎の空白地帯にこそ、私の尊厳は隠されているのだから。
脚注:
参考文献:
- Fyodor Dostoevsky, Notes from Underground, 1864. (邦訳『地下室の手記』新潮文庫) - 合理的利己主義への反逆と、「2×2=4」の世界に対する拒絶。
ピアノのキー: ドストエフスキーは『地下室の手記』において、もし自然の法則がすべてを発見し、人間のあらゆる行為が数表に従って算出されるようになれば、人間は「オルガンのストップ(organ stop)」や「ピアノのキー(piano key)」のような、自律性を持たない部品に還元されてしまうと危惧した。 ↩︎